大阪地方裁判所 昭和27年(ワ)1716号 判決
原告 有岡庄一郎
被告 土井寅夫
一、主 文
被告は原告に対して大阪市東住吉区田辺東之町三丁目一六九番地上木造瓦葺二階建北向四戸一棟のうち東端の家屋一戸を明渡し且つ昭和二十七年五月十四日より右明渡済に至るまで一ケ月金千七拾八円の割合による金員を支払え。
原告その余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は家屋の明渡を求める部分について金四万円、金員の支払を求める部分について金八千円の各担保を供するときは仮に執行することができる。
二、事 実
第一当事者の申立
原告訴訟代理人は被告は原告に対し主文記載の家屋を明渡し且つ金四千三百五円及び昭和二十六年十月一日から右明渡済に至るまで一ケ月金千七十八円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に仮執行の宣言を求めた。
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とすると判決を求めた。
第二原告主張の請求原因
一、本件家屋は昭和十三年以前に建設せられたもので原告はその所有者である。
二、原告はかねて被告に対し本件家屋を賃貸していた。賃料は月末持参払の定で昭和二十五年八月一日から一ケ月金六百十五円であつたが昭和二十六年十月一日から修正せられ一ケ月金千七十八円となり原告は当時被告に右修正額に値上げする旨通知した。
三、然るに被告は昭和二十六年三月分から賃料を延滞していたので度々支払方を督促したが応じないので昭和二十七年四月八日到達の内容証明郵便で昭和二十六年三月から同年九月分まで一ケ月金六百十五円の割合で、又昭和二十六年十月分から昭和二十七年三月分迄一ケ月金千七十八円の割合で総計金一万七百七十三円の延滞賃料を至急支払うよう催告したが同月末に至つても支払は固より何の回答もないので同年五月一日吉田善治外一名を代理人として念のため右延滞賃料の請求並に受領に赴かしめたが、尚これに応じないので、同年五月十三日到達の内容証明郵便で被告に対して本件賃貸借を解除する旨通知した。
よつて本件賃貸借は昭和二十七年五月十三日限り終了したので被告は原告に対し本件家屋を明渡し昭和二十六年三月分より同年九月分まで一ケ月六百十五円の割合による延滞賃料合計四千三百五円、同年十月一日より同二十七年五月十三日迄は一ケ月千七十八円の割合による延滞賃料、同年同月十四日以降右明渡済に至るまで一ケ月千七十八円の割合による損害金を支払う義務がある。
第三被告の答弁及抗弁
一、原告の主張事実中第一項の本件家屋の建築年次の点は認めるが本件家屋が原告の所有なることを否認する。第二項の事実は賃料一ケ月金六百十五円の点を除きすべてこれを争う。第三項の事実中原告主張の内容証明郵便の到達したことはこれを認めるがその余の主張事実はこれを争う。
二、本件家屋は不動産登記簿によれば有岡重雄の所有であつて原告の所有でない。従つて原告は被告に対し本訴請求をなす権利を有しない。仮りに原告の所有であるとしてもその所有権を以て被告に対抗することはできない。
三、本件家屋の賃料は集金取立払の定で昭和二十六年二月迄集金されたが同年三月以降被告及被告妻疾病入院治療に多額の費用を要し原告は被告の窮状に同情してその支払を猶予せられたので、被告は大いに原告を徳としていたところ、昭和二十七年四月七日突然内容証明郵便で原告主張の延滞賃料の請求を受けたが、右賃料の値上について原告より当時何等の通告を受けなかつたから被告にはその増額金の支払義務はない。従つて増額賃料の支払をしないことを理由とする同年五月十二日附内容証明郵便による無催告賃貸借契約解除の意思表示はその効力を生じない。
仮りに告示の変更によつて何等の意思表示なくとも賃料を増額し得るとしても昭和二十六年十月以降の賃料は一ケ月金九百六十五円四十九銭であるに拘らず千七十八円の割合の請求は失当であつてその効力のないことは同断である。
四、昭和二十七年五月一日原告の代理人である杉本ヤスヱ及び吉田善治の二名が被告方に来談したが、被告は賃料額の相違せること原告より取立がなかつたこと等を述べ、被告の承諾する金額を提供したが夫れは原告の話と相違するから原告の意思を確かめて今一度来訪するから夫れ迄待つてくれとのことであつた。それで被告は原告の回答を待つて支払いすべく準備していたが何等の回答なく原告主張の如き契約解除をなして来たものである。従つて右解除は不法無効である。
五、被告は昭和二十七年六月二日本件家屋の昭和二十六年三月分より同年九月分迄の一ケ月金六百十五円の割合による延滞賃料計金四千三百五円、同年十月分より同二十七年三月分迄一ケ月九百六十五円四十九銭の割合による延滞賃料計金五千七百九十二円九十四銭総計一万九十七円九十四銭を弁済供託した。
六、被告は本件家屋につき原告の承認の下に左記のとおり必要費を支出し、原告はその弁済を承諾しながらその支払をしないものである。
年月日 金額 修繕箇所
二〇年 一月 日 一、〇九〇円 硝子戸硝子破損一八枚
二一年一一月一〇日 二九〇円 家根雨漏修繕
二三年 七月三〇日 一、三五〇円 畳表替
二三年 七月三一日 一、一一七円 水道工事代
二三年 九月 日 二、三五〇円 畳表替
二四年 一月三〇日 一、〇〇八円 水道工事代
二四年 五月一五日 六、五〇〇円 雨戸、屋根、表入口
二四年 七月一〇日 一、一三〇円 樋修繕
二五年一二月一二日 二、五〇〇円 風呂場修繕
二六年 九月三〇日 二、三〇〇円 硝子破損修繕
合計金 一九、五八五円
従つて被告に延滞賃料の支払義務があるとしても、原告に対し右必要費の償還請求権があるのでこれと対当額において本訴(昭和二七年一〇月四日午前十時の口頭弁論期日)において相殺する。
第四被告の答弁及び抗弁に対する原告の主張
一、本件家屋は元有岡重雄の所有であつたが、同人は昭和十六年一月十一日死亡し、有岡フクこれを相続し、有岡フクも昭和十九年九月二十一日死亡し、原告が家督相続してその所有者となつたものである。而して被告はこれを認め、従来原告に対して賃料の支払を為し来つたものであり、又本件家屋の登記名義が今尚被告主張のとおり有岡重雄となつているが、被告は登記名義の欠缺を主張する正当の利益を有しないものである。
二、被告がその主張の如き供託を為したことは認める。
三、被告が本件家屋につきその主張の如き必要費を支出したことを否認する。原告は被告から修繕の要求を受けたこともなく、又被告が修繕をなすにつき同意したこともない。仮りに被告に有益費償還請求権があるとしても、それは賃貸借終了即ち家屋を明渡した後でなければ請求できないから延滞賃料と相殺することはできない。
第五証拠
<省略>
三、理 由
一、賃貸借契約成立の対抗のためには登記は必要か
賃貸借契約の成立のためには賃貸人において目的物につき所有権を有することを必要としないことはいうまでもない。従つて不動産の賃貸人はその所有権取得により賃貸人たる地位を承継する場合の外登記の対抗の問題は起らない。本件は後記認定の如く原告(その代理人野村信託株式会社を通じて)と被告との間に賃貸借契約の成立した場合であるから原告の本件家屋に対する登記欠缺を理由とする被告の抗弁はすべて排斥を免れない。
二、賃貸借契約の成立について
成立につきいづれも争のない甲第五号証第六、七号証の各一、二乙第一号証の一、二第三号証の一乃至二、第四号証の一乃至五第五号証の各記載に証人有田武司、土井久子の各証言並に原告及被告の各供述を綜合すれば本件家屋は元その所有者であつた亡有岡重雄が昭和十六年一月十六日死亡し亡有岡フクに於て家督相続によりこれが所有権を取得し、更らに同人が昭和十九年九月二十一日死亡し、同日その養子たる原告において家督相続によりこれが所有権を取得したものであり、原告の所有権取得後の同年十二月本件家屋の管理人野村信託株式会社が原告の代理人として被告との間に原告主張の賃貸借契約を締結したものであり、被告においても野村信託の管理人辞退後は原告を賃貸人と認めてこれに賃料を支払つて来たものであることを認めるに足る。右認定を覆すに足る証拠はない。従つて被告は賃借人として賃貸人たる原告に対し賃料支払の義務があるこというまでもない。
三、契約の解除は有効か
原告主張の延滞家賃の支払催告並に契約解除の意思表示のあつたこと及び本件家屋の昭和二十五年八月一日から同二十六年九月末日迄の賃料が一ケ月金六百十五円であつたことは当事者間に争がないが昭和二十六年十月一日以降の改訂賃料が一ケ月金千七十八円であることについては争があるので、この点につき考察するに、本件家屋が昭和十三年以前に建設せられたものであることは当事者間に争がなく且つ四戸建一棟のうちの一戸であることは弁論の全趣旨により認められるが故に昭和二六年九月二五日物価庁告示第一八〇号により修正せられた本件家屋の家賃額が原告主張の如くであることは成立につき争のない甲第八号証(本件家屋の敷地の賃貸価格証明書)及第九号証(本件家屋の賃貸価格証明書)により算定してこれを認めるに足る。右認定を覆して被告主張の金九百六十五円四十九銭であることを認むべき証拠はない。従つて家賃額に対する被告の主張は採用できない。而して右家賃額の修正当時原告がこれを被告に通告したことは前記乙第四号証の五の記載証人有田武司及原告の各供述を綜合してこれを認めることができる。右認定を覆す証拠はない。従つて被告は昭和二十六年十月以降右修正家賃額を支払う義務がある。而して被告が昭和二十六年三月以降の家賃を延滞したことは弁論の全趣旨により明かなところ、被告は病気その他不幸があつたので原告より家賃の支払の猶予を受けたと主張するので、この点につき考察するに、証人土井久子の証言並に原告及被告の各供述を綜合すれば原告が被告の懇願に対し一時家賃の取立を猶予したに止るから右猶予は原告主張の前記昭和二十七年四月八日到達の内容証明郵便による延滞家賃の支払催告により解消したものというべきである。従つて被告は右催告に応じ相当期間内にこれが支払義務あるところ、被告より支払も回答もなかつたので原告が訴外杉本ヤスヱ等を代理人として被告方え支払催告に赴かしめたところ被告の妻は本件家屋の家賃が附近の家賃に比べて高いと云つて支払はなかつたことは証人杉本ヤスヱ、吉田善治の各証言によつてこれを認めることができる。被告は訴外杉本ヤスヱ等が来訪した際被告の妻が原告要求の家賃額の相違を告げ被告の承諾する金額を提供したところ右訴外人等は原告に報告した上来訪するといつたに拘らず原告側より何等の回答がなかつた旨主張し、証人土井久子及被告は右主張に添う供述を為しているが右供述は証人杉本ヤスヱ、吉田善治の各証言に対比して容易に信用することはできない。従つてこの点に関する被告の主張は採用できない。従つて原告が右催告後の昭和二十七年五月十三日到達の書面を以て被告に対しなしたる本件賃貸借契約解除の意思表示は有効であり、本件賃貸借は同日限り解除により終了したので被告は原告に対し本件家屋を明渡す義務があり、且つ昭和二十六年三月より同年九月末日迄一ケ月金六百十五円の割合による延滞家賃金四千三百五円及び昭和二十六年十月一日より同二十七年五月十三日迄、一ケ月金千七十八円の割合による延滞賃料計金八千九十八円総合計一万二千四百三円と同二十七年五月十四日以降右家屋明渡済に至るまで右賃料相当額の一ケ月金千七十八円の割合による遅延損害金を支払う義務がある訳である。然るところ被告は昭和二十七年六月二日本件家屋の昭和二十六年三月分より同二十七年三月分迄の延滞家賃として金一万九十七円九十四銭を供託したことは当事者間に争がないから被告の延滞家賃の残額は金二千三百十六円六銭となる。
四、相殺の抗弁について。
第三者の作成にかかり当裁判所において成立を認める乙第二号証の一乃至九及び成立につき争のない乙第二号証の一〇並に証人土井久子及被告の各供述によれば被告は本件家屋につき賃借中その主張の如き修繕を加え、その主張の金一万九千五百八十五円を支出したことを認めることができる。右認定を覆す証拠はない。然し右修繕は賃貸人の義務に属し従つて被告の支出した金額は必要費として償還を求め得るかについては検討を要する。惟うに、賃貸人の修繕義務は修繕をなすことが可能であつて且つその必要のある場合でなければ発生しないものというべく、又修繕につき不相当に過大なる費用を要する場合の如きは法律上修繕不能と解すべきである。又修繕が可能な場合においても、終戦以来経験されたように、強度に家賃の抑制が行われている場合には、賃貸人の修繕義務もそれに比例して軽減されると解すべきであり、されば今日に於ても修繕料の負担については一般に賃貸人と賃借人とが協議して決めていることは当裁判所に顕著な事実である。今これを本件について見るに、被告が本件家屋の修繕を為したと認められる昭和二十年一月より同二十六年九月末日迄の本件家屋の賃料は前記乙第三号証の一乃至一二、第四号証の一乃至六によれば昭和二十年一月一日より同二十二年八月末迄は一ケ月金二十三円、同二十二年九月一日より同二十三年九月末迄は一ケ月金五十五円、同二十三年十月分は金百十三円六十五銭同二十三年十一月一日より同二十四年八月末日迄は一ケ月金百四十四円、同二十四年九月一日より同二十五年八月末日迄は一ケ月金二百三十一円、同二十五年九月一日より同二十六年九月末日迄は一ケ月金六百十五円の割合であることが認められるから昭和二十年一月一日より同二十六年九月末日迄の家賃の合計額は金一万三千七百九十一円六十五銭であることは算数上明かである。而して右期間中に被告が支出した修繕代は前記の如く金一万九千五百八十五円であつて賃貸人の取得し得る家賃額を遥に超過しているのみならず各個の支出額も支出時の賃料額に比し過大に失しているので到底これを賃貸人たる原告の修繕義務の範囲に属するものと認めることはできない。従つて又右費用を以て必要費となすことはできない。しかのみならず、本件家屋が四戸建一棟のうちの一戸であることは既に認定の如くであり、証人有田武司、土井久子の各証言並に原告の供述を綜合するときは、他の三戸の家屋についてはジヱーン台風(昭和二十五年九月)後に、修繕の要求があつただけで、しかもその際賃貸人(原告)において一ケ月の家賃を免除して、賃借人(被告を含む)の負担で修繕することに協定された事実を認め得るのであつて、これ等の事実を併せ考えると、被告の前記修繕は専ら自己の便益のためになしたものと認めるを相当とする。従つて被告の支出した前記費用は有益費の性質を有するものである。而して有益費については賃貸人は賃貸借終了の時に於て民法百九十六条第二項の規定によりその選択に従い賃借人の支出したる金額又は増価額を償還する義務がある。然し本件においては増加額の存在しないことにつき何等の主張立証もなく且又選択の主張もないから原告は前記被告の支出額を償還する義務あるものというべきである。而して本件賃貸借契約は前記認定の如く昭和二十七年五月十三日解除により終了したから原告の前記延滞家賃金請求権と被告の右有益費償還請求権とは昭和二十七年五月十四日すべて相殺適状にあり、被告が昭和二七年一〇月四日午前十時の口頭弁論の期日において原告に対し前記延滞家賃金残額金二千三百十六円六銭の債権と右支出金一万九千五百八十五円の償還請求権とを対当額において相殺する旨の意思表示をしたことは一件記録上明らかで、被告の右の相殺の意思表示によつて被告は右延滞家賃金の債務を免れた訳である。
五、結論
よつて原告の本訴請求は以上認定の範囲においてはこれを正当として認容すべきもその余を失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 庄田秀麿)